- ”目黒のジダン”こと佐とうひできのブログ

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【日記】東京マラソン2017を走って「スタートするまで」 その1

2月26日(日)に東京マラソンに出場した。
2013年に応募して4回目にしてやっとの当選だった。今回は13倍と過去最高だったそうだ。今回、応募はしたものの当たる気はさらさらなかった。9月半ば、当選メールを確認したのもそれが目的ではなく、たまたま目についてしまったそんな程度の期待感だった。しかし当たったらうれしいものでFacebookで当選の報告をすると当たらなかった人から期待と応援の声が届いた。そこでやっと自分が出場できることを実感できた気がした。

さっそく翌日走りにいったら張り切りすぎて久々の長い距離に膝が悲鳴をあげた。それで約1か月走ることができなかった。10月は60km走り、11月はタイ出張に行くまではよかったが、帰国してから忙しさにかまけてまったく走る気が起こらず、結局年末からまた走り始めるというダラケぶりだった。当初の予定では12月には本コースを試走するつもりでいたが、仕上がりがそれどころではなかった。年末年始それまでのツケを取り戻すかのように走ることには走ったが、ペースはキロ7分、時間にして50分程度。まるで本番3,4カ月前のような練習を2か月を切った1月に行った。

1月に入り今度は2月11日に行われるライブの準備が佳境に入りまったく走ることができず、次に走り始めるのは本番3週間前となった。そこで友人からの「大丈夫なの?」の字に背中を押され、朝3時起床したついでに5時から2時間ばかし18kmほど走りに行ったのが今回の練習の最長距離であり、本番前最後の追い込みであった。そこからは体調を気遣いながら調整していった。

本番3日前の木曜日。ビッグサイトにゼッケンをもらいに行き、その会場でさらに実感がこみあげ、俄然テンションがあった。すぐにでも走り始めたい気持ちになった。会場のムードに危うく無駄にランニンググッズを買いそうなくらい購買意欲もくすぐられた。

翌日金曜日、最後の7kmのキロ6分のペース走をして調整は終了した。体調は悪くはなかったが強いて言えば花粉症で鼻で呼吸することが難しいことだった。

迎えた当日。天候は良好。気温もちょうどよい。朝4時に起床し、前日2年前に東京マラソンに出場した弓人から「途中腹減るからたくさん食べろ!」というアドバイスの元、やきそば、パン、カレー、出走直前におにぎり(赤飯)を食べた。

2年前に出場したその弓人の時、私は出走ギリギリまで付き添い、その後田町、浅草橋(往路・復路)、ゴール(ビッグサイト)と追っかけ応援した。今度は彼が応援してくれるということで朝7時に渋谷で待ち合わせてゲートの入り口まで見送ってくれた。彼とは20km地点となる「門前仲町」で会おうと約束した。そこで出走時の防寒のための上着を入れたリュックを渡す段取りにした。手荷物も彼がもっていってくれるとのことで預けることなく出走の準備についた。入門締切となる8:45ギリギリにスタンバイした。靴紐もいつもよりしっかりと結び、facebookにも出走する投稿をした。

9:00。東京都知事・小池百合子氏のあいさつがあり、まずは車いす部門がスタート。そして9:10、マラソンの開始を告げるピストルが鳴った。前から徐々に進みだしたが、突然前方右側にトイレを発見し、もしものために最後の放尿をした。そのためスタートより10分遅れで、「私の東京マラソン」がスタートした。


つづく

【映画】8月の鯨 [ The Whales of August ](1987年)

■ 評価 ★★★★☆ (4.0)

■ 総評
友人から薦められて観た作品。
正直面白いとかそういう評価の作品ではない。しかし味わい深く、まだ「子ども」な自分の感性では感じきれなかったというのが実感。キャストの平均年齢が80才越えという超高齢者キャスト。だからセリフのテンポはとてもゆったり。そのゆったり具合が英語のヒアリング能力をとても鍛えてくれそうなのだがこれは英語の教材ではないので純粋に映画として楽しませてもらいたい。しかしそんなところが気になってしまった。ちょっと気を許すと眠くなってしまうテンポなのでもある。でもこれは以前観た「ドライビング・ミス・デイジー」同様年を重ねてまた見たい映画である。数年前に見てまったく理解できなかった「めぐり逢う時間たち」が30代後半になって少しは理解できたように。「ストレイトストーリー」なんかもうそうかもしれない。
ともかく高齢者が主役の映画は、観ていてまだとてもじゃないけど根の部分までとどかない今のワタシの感性なのである。

gatu no

【日記】実家の引っ越しで出てきた「手紙」から気づかされたこと

3才から住んだ実家が引っ越すことになった。
私は、2002年の時に家を出ているので自分の荷物はほとんどなかったが、幼少の頃からのモノは残っているために整理をしにいった。久しぶりに訪れた実家の狭さに驚いた。家を出たのが26才だから、カラダも今とさほど変わっていない。でもなぜかそう感じた。今回、整理といっても自分の勉強机周りを片付けるだけだった。

我が家は、賃貸マンションで築50年が経っていた。勉強机がTVの真横にあり、自身が受験生の時は、母はヘッドホンをしながらTVを鑑賞し、少しでも邪魔しないように協力してくれていた。そのTVも今は、もちろん液晶だ。勉強机は、リビングにおいてある。実家暮らしの際、私は自分の部屋というものをもった経験がなかった。1LDKに家族そろって川の字で寝、TVも一台で共有していた至極昭和的な家庭だった。ただ私の人格形成でその「自分の部屋をもたなかった」ということはいい意味でとても影響していると思うので今となってはその環境に感謝している。


長年使った勉強机は、私が家をでた14年前とほぼ同じ状態になっている。ただ上にどんどん荷物が積み重なってるだけである。その荷物を上から取り除く作業から始めた。そして次々に出土される懐かしグッズ。片付けにはその「思い出の品」とのココロの葛藤が必須なのだろうが、38年同じ家だったためこれまでその葛藤を味わったことがなかった。ただ人から思い出の品との別れ方として「写真に収める」というやり方があることを知っていたので、そのへんの葛藤はまったくなく片付けは順調に進んでいった。

そしてある程度片付け、引き出しを開けれる状態まで整理ができた。その引き出しに何が入っているか検討もつかなったが、掌くらいの小さいな引き出しに入っていたものは、これまで頂いてきた「手紙」たちだった。便箋に入っているもの、年賀状、ハガキ、授業中に回っている手紙、ルーズリーフをハート型に折たたんだもの、器用にまとめたもの様々な形状が当時のまま保管されてあった。それを一つ一つ開き、確認していく。読みたい気持ちもあるが、片付けに行ったその日は、時間に限りがあったのでそんな悠長なことはしていられなかった。だから片っ端から撮影をすることにし、作業を進めていった。しかしそこにある「手紙」は、「手紙」にしているほどのモノであるのだから、内容がそれなりの重さを伴った内容のものばかりであった。年賀状、ハガキなどはサクサクいったのだが、様々な形状の「手紙」は内容がとても切実すぎてその場で読むことをためらった。しかし出発の時間も迫ってきているため、覚悟を決めて「撮っては捨て」を繰り返した。タイムリミットのため残りは自宅に持って帰ることにした。

翌日、その手紙をまた撮り貯めることにした。落ち着いた時間もできたのでそれを一つ一つ読み返した。そこで私は当時の自分の恐ろしく自己中心的な面を垣間見ることになった。手紙は15歳(1991年)の高校1年から25歳(2001年)くらいまでの10年間に書かれたものだった。青春まっさかりである。だから必然的に手紙の内容は「恋愛」に関連していた。書かれていた内容は、大きく分けると「当時の彼女から手紙」「私のことを好きな子からの手紙」「恋愛、人生相談に乗っていた友人からの感謝の手紙」などなどであった。その手紙から推測するに私は相当「サイテー」の人間だったようだ。25年前のため当時の思考などがあまりにも今とかけ離れているために、”ようだ”という表現になってしまう。とにかく「サイテー」さを窺い知るには十分なものであった。とにかく「サイテー」だった”よう”だ。読んでいて「コイツなんなんだ!?」と他人のことのように思いながら読み進めた。そしてその手紙を書いた人たちを思い出した。メールもLINEもない時代である。リアルでの会話以外は、家の電話か手紙しかない時代だ。完全に前時代的なのだが、だからこそ「手紙」の価値を再認識させてくれた。もしデジタルな機器における手紙だったらこの感覚はでてこなかったんではないのではないだろうか?手紙に込めた様々な想い。デコレート、構成、字の筆圧、誤字脱字、字そのもののニュアンスなどなどを。

「手紙」を書くことは、大きな”仕事”である。そこに至るまでに充満した思いがあったからこその結果が「手紙」だ。思いが溢れでたからこそ「手紙」になったはずだ。その「手紙」の数々から溢れた思いが25年近く経過した今も時を超えて響いた。

今確実に言えることは当時の自分には、その彼女たちからの手紙の意味を本当の意味で理解していなかった。またまったく真摯に向き合っていなかった。それだけは確かだ。「不誠実な自分」を端々から感じ取ることができた。本当に申し訳なくなった。そこにつづられている手紙の言葉ひとつひとつがとてもずっしりと「重し」になった。そして胸が痛くなった。ドラえもんがいたら、タイムマシーンをだしてもらい、その時代の人たちに未来の自分が謝って回りたい、そんな気持ちになった。

なにより手紙は、SNSなどと違って投げたらその反応はリアルタイムには返ってこない。その返ってこない間のココロの動きは、完全に"待ち"の状態である。相当のココロの揺らぎがあるハズだ。「手紙」を渡すということは、それをも否が応でも受け入れなくてはならない。

本文の結びに『なんかワケ分かんない内容なっちゃったけど…』とおどけて締めようとするのが定石なのが「手紙」であるが、そうはいっても内容が必ずあるのが「手紙」でもある。その内容を投げる勇気もさることながら、その”待ち”を受け入れ、またそこから気持ちを醸成させていくのだからその当時の女性たちはとても成熟していたんだと思う。「手紙」は大人のツールなのだとこの機会深く考えさせられた。私も手紙書いてきたが内容はほとんど覚えていない。今回の手紙の差出人ももう覚えていないと思う。けど手紙というアナログな思い出は時を超えて人に影響を与えた。20年以上先の自分にも届いた。今回の実家の引っ越しは自身の「今を考える」とても転機となった。手紙を書いてくれて素直にありがとうと伝えたくなった。

【映画】あの頃ペニー・レインと [ Almost Famous ](2000年)

■ 評価 ★★★★☆ (4.5)

■ 総評
2000年、当時24歳の時に年間100本くらい映画館に行っていたときに観たかったやつ。観よう観ようとリストアップしていたけど観れず、何回もDVD、深夜のTVの映画で録画もしたけど敬遠してしまっていた映画。しかし40歳というこのタイミングで見れてよかったかも。観た後のココロ洗われた感じのエンタメ感はとても心地よい。基本自分の魂に「ロック」なものがないため当時の自分では理解しにくかったかもしれなく、しかもここまで敬遠してきた大きな理由がそのプロットから想像する世界感だった。ロックバンドに同行する少年ライターの話。ホントに「ロック」のかけらもない人生だったので…まぁそもそもロックが何かっていうのもわかってないくらいだから軽率にロックなんて使っちゃったダメだくらい思っている人間なんで、この映画を避けていたのはこの年だからわかる。今この年で見れてよかったと思う反面当時の自分が見てもたぶんそれなりに楽しめたんだろうとも想像がつく。15才童貞の主人公の気持ちの背伸びしながら、別世界の中で巻き込まれていく感覚を自身の経験と重ねながら観た。
映画には、作りたくて作っている作品とお願いされて作っている作品とあるがこの作品は完全に前者で、この映画は死ぬまでには絶対に作りたかったのではないかと想像させるくらい作り手の思いが乗っていると思った。


almostfamous.jpg 

【振り返り】自身の創作活動を振り返る(2000年/24才)「ゲリライブについて」

時の流れは前後しますが、ここでこの年からはじめたバンド「ゲリライブ」について語ります。このゲリライブ、今でも続けているライフワークの一つです。続けるつもりもなく17年経ちました。2015年には15周年ライブをやりました。
2000年1月。真冬のハチ公前で23時から路上ライブをやったことからすべてが始まりました。気温3度の中のパフォーマンスはそれはボロボロでした。管楽器は冷えまくり、弦楽器、鍵盤は指がかじかんで動かず、人はまばらで…と、とにもかくにもとりあえずやっちゃえ!というノリで実現したのでした。そもそも私自体人前なんかで歌ったことがなく、ただのカラオケレベルの人間が人前で歌うということで、とても緊張したことを覚えています。ほとんど知り合いみたいな観客だったのにも関わらずですから、本当に駆け出しだったんだなぁと書いてて思い出しました。
時間が23時になったのもパーカッションのどのさんが当日カメラマンのアシスタントをやっていて、仕事が終わるのがその時間ということで決まりました。しかも適当なパフォーマンスのクセになぜかリハはキチッとやろうということで昼間は15時から代々木公園でフルセットを組んでリハをやりました。そこから出番まで8時間。どんなタイムスケジュールなんだ?!といった感じです。完全に若さを露呈しています。
でもその日のそのパフォーマンスがなかったら今に続くカタチはなかったわけだから、わからないものです。
今でこそ名前がついていますが、これもつけたというよりも、その一年後にライブハウスで対バンライブがあるということで、じゃあ名前は何よ!?じゃあゲリライブでよくねぇ~みたいな流れで決まったもんだから、ポリシーも何もあったもんじゃない。今でも紹介されるときに恥ずかしさと違和感があるのはメンバーでは私だけではないはずです。
このゲリライブについては話すことはいくらでもあるのですが、それはまたおいおいということで、とにかく私にとってはこのゲリライブがなかったらパフォーマーとして、まったく違った形態になっていたのではないかと思うくらい、とても重要な仲間なのです。
続く…
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