【日記】東京マラソン2017を走って「蔵前橋~森下~”膝の痛み”」 その5 - ”目黒のジダン”こと佐とうひできのブログ

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【日記】東京マラソン2017を走って「蔵前橋~森下~”膝の痛み”」 その5

蔵前橋を渡り、蔵前通りを右折して清澄通りに入った。
通りの角は震災記念堂である。この辺りは母の実家の近くにあたるためこの記念堂には思い出がある。毎年9月1日は、関東大震災の日ということもあり、出店などが出る。関東大震災は大正12年(1923年)9月1日に起き、その際私の曾祖父が亡くなったそうだ。そのエピソードは祖父からよく聞かされた。その震災で亡くなった方々の慰霊碑がここにあり、お参りをしに毎年来ていた。小学校の頃、2学期の始業式後ここを経由し、錦糸町の祖父の家に行くのが慣例となっていた。4年生の時に鈴虫を買った記憶がある。
その思い出の地を右手に両国へと向かっていた。錦糸町の母方の実家で、年始の親戚一同の集まりの際、私が東京マラソンにでることを伝えてあったので、「もしかしたら応援とかあるのかも」といらぬ期待をしたが思い過ごしだった。その矢先、左ひざの外側に若干の違和感を感じた。痛みというほどでもないが「あれ!?」と思う程度の違和感だった。しかし走りは快調で、常にキロ6分前後でキープしていた。後半へ向けても余力たっぷりだった。
両国を過ぎた。この辺りの沿道の応援する人もたくさんいて初コースということもあるだろうがとても賑わっていた。この両国、2008~2009年頃にアルバイトをしていたところで2年近く通った、ここも思い出の地である。走りながら様々な街の変化を感じた。もう10年近く経つが飲食店はほとんど変わっていた。昔働いていたビルを通過し、森下へと向かう。ここから若干のアップダウンがある。というのは小さい橋が数か所あり、上り下りが否応なしにくるのだ。その昔、江戸は運河などで流通をしていたというが「水の都」だったということ感じさせた。
この辺りは18km付近なのだが、今回のマラソンに向けての練習での最長距離が18kmだった。その距離まで来た。これまでもハーフマラソン、フルマラソンと経験してきたが、前回の2年前のフルマラソンは、一か月前に予定していた青梅マラソンが雪のために中止になり、その後全く走らずに本番を迎えた。しかし最長26Kmの練習をしていたこともあり、カラダに痛みを感じることはなかった。今回も練習も徐々に距離を伸ばしながら、膝の痛みと戦ってきた。一度走った距離だと膝の痛みを感じなくなるため、痛めては休み、回復してはまた距離を伸ばしてということを繰り返してきた。しかし今回の練習はなかなかまとまった時間がとれず18kmしか距離を重ねることができなかった。
カラダは正直なものでやはりこの18kmで先ほどの違和感が痛みへと昇華した。
「やっぱりかぁ…」と思った。

続く。
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