【日記】実家の引っ越しで出てきた「手紙」から気づかされたこと - ”目黒のジダン”こと佐とうひできのブログ

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【日記】実家の引っ越しで出てきた「手紙」から気づかされたこと

38年住んだ実家が引っ越すことになった。
私は、2002年(当時26歳)の時に家をでているから自分の荷物はほとんどなく、それでも幼少の頃からのモノは残っているので整理しにいった。久しぶりの実家の狭さに驚く。家を出たのが26才だから、カラダも今とさほど変わっていない。でもそう感じた。ただ家をでてからも年1,2回は荷物を取りに行ったりしていたので配置などの変化はなかった。整理といっても自分の勉強机のところだけだった。
我が家は、マンションで築50年くらい。勉強机がTVの真横にあり、自身が受験生の時とかは母はヘッドホンをしながらTVを見て少しでも邪魔しないように協力してくれていた。懐かしい思い出だ。そのTVも今ではもちろん液晶だ。勉強机といっても自分の部屋にあるわけではない。ワタシは、自身自分の部屋というものをもったことがなかった。自分の部屋をもったのは一人暮らしをした時だけだ。1LDKに家族そろって寝、TVも一台で共有していた至極昭和的な家庭だった。ただ私の人格形成でその「自分の部屋をもたなかった」ということはいい意味でとても影響していると思うので今となってはその環境に感謝している。


長年使った勉強机は、私が家をでた14年前とほぼ同じ状態になっている。ただ上にどんどん荷物が積み重なってるだけである。その荷物を上から取り除く作業から始めた。そして次々に出土される懐かしグッズ。片付けにはその「思い出の品」とのココロの葛藤が必須なのだろうが、38年同じ家だったためこれまでその葛藤を味わったことがなかった。ただ人から思い出の品との別れ方として「写真に収める」というやり方があることを知っていたので、そのへんの葛藤はまったくなく片付けは順調に進んでいった。

そしてある程度片付け、引き出しを開けるまで整理ができた。その引き出しに何が入っているか検討もつかなったが、掌くらいの小さいな引き出しに入っていたものは、これまで頂いてきた「手紙」たちだった。便箋に入っているもの、年賀状、ハガキ、授業中に回っている手紙、ルーズリーフをハート型に折たたんだもの、器用にまとめたもの様々な形状が当時のまま保管されてあった。それを一つ一つ開き、確認していく。読みたい気持ちもあるが、片付けに行ったその日は、時間に限りがあったのでそんな悠長なことはしていられなかった。だから片っ端から撮影をすることにし、作業を進めていった。しかしそこにある「手紙」は、「手紙」にしているほどのモノだから内容が重たいものばかりであった。年賀状、ハガキなどはサクサクいったのだが、様々な形状の「手紙」は内容がとても切実すぎてその場で読むことをためらった。しかし出発の時間も迫ってきているため、覚悟を決めて「撮っては捨て」を繰り返した。タイムリミットのため残りは自宅に持って帰ることにした。

翌日、その手紙をまた撮り貯めることにした。落ち着いた時間もできたのでそれを一つ一つ読み返した。そこで私は当時の自分の恐ろしく自己中心的な面を垣間見ることになった。手紙は15歳(1991年)の高校1年から25歳(2001年)くらいまでの10年間に書かれたものだった。青春まっさかりである。だから必然的に手紙の内容は「恋愛」に関連していた。書かれていた内容は、大きく分けると「当時の彼女から手紙」「私のことを好きな子からの手紙」「恋愛、人生相談に乗っていた友人からの感謝の手紙」などなどであった。その手紙から推測するに私は相当「サイテー」の人間だったようだ。25年前のため当時の思考などがあまりにも今とかけ離れているために、”ようだ”という表現になってしまう。とにかく「サイテー」さを窺い知るには十分なものであった。とにかく「サイテー」だった”よう”だ。読んでいて「コイツなんなんだ!?」と他人のことのように思いながら読み進めた。そしてその手紙を書いた人たちを思い出した。メールもLINEもない時代である。リアルでの会話以外は、家の電話か手紙しかない時代だ。完全に前時代的なのだが、だからこそ「手紙」の価値を再認識させてくれた。もしデジタルな機器における手紙だったらこの感覚はでてこなかったんではないのではないだろうか?手紙に込めた様々な想い。デコレート、構成、字の筆圧、誤字脱字、字そのもののニュアンスなどなどを。

「手紙」を書くことは、大きな”仕事”である。そこに至るまでに充満した思いがあったからこその結果が「手紙」だ。思いが溢れでたからこそ「手紙」になったはずだ。その「手紙」の数々から溢れた思いが25年近く経過した今も時を超えて響いた。

今確実に言えることは当時の自分には、その彼女たちからの手紙の意味を本当の意味で理解していなかった。またまったく真摯に向き合っていなかった。それだけは確かだ。「不誠実な自分」を端々から感じ取ることができた。本当に申し訳なくなった。そこにつづられている手紙の言葉ひとつひとつがとてもずっしりと「重し」になった。そして胸が痛くなった。ドラえもんがいたら、タイムマシーンをだしてもらい、その時代の人たちに未来の自分が謝って回りたい、そんな気持ちになった。

なにより手紙は、SNSなどと違って投げたらその反応はリアルタイムには返ってこない。その返ってこない間のココロの動きは、完全に"待ち"の状態である。相当のココロの揺らぎがあるハズだ。「手紙」を渡すということは、それをも否が応でも受け入れなくてはならない。

本文の結びに『なんかワケ分かんない内容なっちゃったけど…』とおどけて締めようとするのが定石なのが「手紙」であるが、そうはいっても内容が必ずあるのが「手紙」でもある。その内容を投げる勇気もさることながら、その”待ち”を受け入れ、またそこから気持ちを醸成させていくのだからその当時の女性たちはとても成熟していたんだと思う。「手紙」は大人のツールなのだとこの機会深く考えさせられた。私も手紙書いてきたが内容はほとんど覚えていない。今回の手紙の差出人ももう覚えていないと思う。けど手紙というアナログな思い出は時を超えて人に影響を与えた。20年以上先の自分にも届いた。今回の実家の引っ越しは自身の「今を考える」とても転機となった。手紙を書いてくれて素直にありがとうと伝えたくなった。
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