【振り返り】自身の創作活動を振り返る(2000年/24才)「ポカラ博の仕切りを任される」 - ”目黒のジダン”こと佐とうひできのブログ

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【振り返り】自身の創作活動を振り返る(2000年/24才)「ポカラ博の仕切りを任される」

古田飛馬(以下、「飛馬(ヒマ)」)と出会ってから、彼の両親の鎌倉の別荘にいったり、仲間を紹介してくれてその仲間と私はトロンボーンで参加したのだがセッションをしたり…となんかそこから関係が繋がっていった。そして何より驚いたのが彼はサッカーを止め、慶應大を中退し、パリダカールラリーに参加し、その当時は本を出版するというのでその準備に追われているといった状況であった。しかも体型も当時のスリムな感じは皆無で別人のようにふくよかだった。面影はあるが、見た目、方向性などまったく違っていたことに驚き、とても刺激を受けた。そしてそれから年末に向けて稽古が続いたため疎遠になったが、年が明けて2000年、その彼から私の地元である池尻大橋に事務所を構えたから遊びに来ないか?と言われいってみた。本当に自宅から自転車で3~5分ほどの距離だった。そこは「ポカラ」という雑誌の編集部だった。246沿いの縦に長いビルである。その彼は軽い気持ちでなんか手伝ってよ!といってきたので、よくわからないが琴線触れたのでとりあえず関わることにした。具体的に何をするわけではないがチョコチョコと事務所に顔を出すようになった。そもそもその雑誌「ポカラ」というのもどういう雑誌だかわからなかったし、どこで売っているかも恥ずかしながら知らなかった。、しかしこのようなエピソード全てが当時の自分の象徴的な動きた方であった。そんな中、その雑誌「ポカラ」のイベント『ポカラ博』というのをやるから仕切りをやってくれ!とお願いされた。出入りはしていたがついに具体的な仕事を与えられたのである。当時は何をするポジションかつかめなかったが、演出であったり、プロデューサー的な感じだった。3人でやっていたので仕事がハッキリしないところもあるが、やっていることはそんな感じのことをしていた。しかしふりかえってみると実は自分のその後のポジションをすでにやらしてもらっていたことになる。飛馬のポジショニング(人員配置)センスはすごいと思う。会ってそんなに回数を重ねていなくてもそこに私をはめ込んできた。しかもやらされた感はまったくなく。なんか巻き込まれ、勝手にレールに乗っていたという感じだ。今、彼はプロジェクトデザイナーという肩書きで、地方創生を食を中心とした企画を立てている。、日本のみならず世界各地で活躍している。今挙げた仕事が正しいかわからないくら位様々なプロジェクトに関わっているようだ。24才当時彼に出会えたことは本当に幸運だったのかもしれない。次はそのポカラ博の準備においてその後の人生に欠かすことのできない人に会うことになる。
続く。
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