【振り返り】自身の創作活動を振り返る(2000年/24才)「古田飛馬との出会い」 - ”目黒のジダン”こと佐とうひできのブログ

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【振り返り】自身の創作活動を振り返る(2000年/24才)「古田飛馬との出会い」

時はミレニアム。問題視されていた2000年問題は何事もなく終わり、世界はミレニアムの大騒ぎ。その年に生まれた赤ちゃんは「ミレニアムベイビー」とか言われたが今もその世代がそう言われてるかは定かではない。私は「お芝居」に出会った初年度から2年目を迎えることになった。楽しいとか、やりたいとか前のめりな気持ちは一切なくただこれにしがみつかなくては、この先の目標にたどり着けないのではないかと焦り、レッスンに通った。12月の初舞台が終わり、レッスンが再開された。前出の四谷三丁目のとあるビルの一階である。不景気と言われながらも当時はまだ余裕があったのかビルの一階のワンフロアーが広いフリースペースになっていて、そこに入っているエンタメ業者の打ち合わせ場所であったり、誰にアピールしているのかB級映画のポスター、VHSなどがあった。そのような環境の中毎週水曜日に19:00からレッスンという名の集会が開かれた。やはりレッスン内容は前年と変わらず、先生の「芸能界とはなんぞや!」の講義、先生の自慢話、映画(ビデオ)を見てその感想を言い合ったりしていた。相変わらず自分の教え子のエピソードを自分の手柄かのように話す口ぶりは、やはり好きになれなかった。この頃になるとさすがに半年以上もこれを続けてきた私にも懐疑心が芽生えてきていた。「これ続けて意味があるんだろうか…?!」
話は遡るが、この時期から約半年前。私はある友人と再会した。以前の出会いがほんの一瞬の出会いだったので友人といってはいけないかもしれないが7年ぶりに顔を合わせた。1992年1月15日。当時、高校1年生。サッカーを始めて8ヶ月のワタシは翌年に開幕を控えていたJリーグに加入するマリノス(現横浜Fマリノス)のユースチームの試験を受けに行った。相当無謀な挑戦だがそれでも当時は真剣に受かるつもりで参加していた。そこで出会った古田飛馬という同い年の選手、それがその友人だ。その時、試験の試合を控えていて雑談をしながら、様々なリフティングのテクニックを見せてくれた。イギリスから帰ってきたらしく、学校は慶応高とのことだった。しかし何より目を引いたのはその出で立ちだ。スウェットパンツの裾をサッカーソックスで覆う当時流行った着こなしであるが、その着こなしもささることながら、そのスウェットパンツがとても脱力感を出していて興味を惹いた。スパイクは2万円くらいするカンガルー皮のアンブロ社のもの。全てが私にはカルチャーショックだった。結局、彼はその後、私同様試験に落ちて平塚ベルマーレ(現湘南ベルマーレ)の前身であるフジタ(当時JFL)に受かっていた。それからお互い連絡を取ったわけではないが私が高校3年の時、日曜にフッとテレビをつけたらイタリアのアタランタというチームを受ける日本選手の番組をやっていた。そしたらキャプションにその前出の変わった名前があり、「あ、あいつだ!」と思った。「がんばってんだなぁ~…」なんてテレビ越しで思った。また当時真剣にプロになりたいと思っていた私は真剣に嫉妬した。それから私の記憶にその彼の名前が出てくることはなかったが、大学を卒業してから半年が経とうとしていた1999年9月。とあるフットサルに参加した際、なんか見覚えのある顔のやつがいるではないかと思い、お互い目を合わせたその時「あ!!」と意気投合「…だよね?!」と名前は出ないがお互い「あの時の」…みたいな感じで空白の7年くらいを一気に埋めあった。その古田飛馬だったのである。その彼との出会いがその後、間接的に自分の人生をドンドンと転がしていくことになる。
続く。
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