【振り返り】自分の創作活動を振り返る(1999年/24才)「東京公演。60/150名の観客」 - ”目黒のジダン”こと佐とうひできのブログ

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【振り返り】自分の創作活動を振り返る(1999年/24才)「東京公演。60/150名の観客」

大阪公演を終え、東京に帰ってきた日の夜。早速、一週間後に控えた東京公演の稽古となった。荻窪にある区の施設だ。当時はどこに行くのも原付だったので本当によく荻窪界隈にいった。そこから一週間、毎日稽古があった記憶がある。しかし一回、公演を重ねたためか少し気が楽になった。楽しいまでとはいかないが「楽」になったというのが一番近い感じがする。そして東京公演の1999年12月13日(月)を迎えた。場所は、新宿シアターモリエール。南口を降りた徒歩数分のところにあるアクセスの良い劇場だ。それ以降見に行くことは何回かあったが公演をしたのはその日が最初で最後となった。もちろん仕込み日など設けてなく"乗り打ち"公演となった(小屋入りして公演までやる公演のこと)。当日の仕事は、大阪の劇場に比べ、天井が高いため、照明の釣りモノのお手伝いをよくしていた。今から思えばよく乗り打ちしたなと思う。大阪の劇場に比べ、大きさが1.5倍くらいあるため人数が同じであるから、それだけ仕込みの時間はかかるわけである。結局、「場当たり」的なことはやれてもゲネはできなかったと思う。開場の時間を過ぎても「場当たり」をやっていて結局、開演時間も20分くらい押していた。観客は超満員。二階のスタッフしか立ち入りができないキャットウォークまでお客を入れた。その情報が舞台裏まで入り、私たちのテンションはがぜん上がった。そして開演数分前に演出家であり出演者であり、脚本家であり、主宰の先生から「こんなに(お客)入ってるんだから、死ぬ気でやるぞ!」とハッパをかけられ、なぜかそのコトバに胸を打たれ涙した。袖にいても伝わってきていた会場の熱気とざわつき。大阪では感じられなかった感覚だった。そして幕が開けた。あっという間だった。東京ではトチらなかった(と思う)。終演後きてくれた方々に挨拶にでた。キャパシティが150人くらいに対して私の初舞台に60人の仲間がきてくれた。一回に60人は後にも先にもない。本当に感謝した。ノルマ制とかもよくわかってなかったけど、必死に声をかけ「あのヒデキがやるんなら…」といった感覚でみんなきてくれたんだと思う。どう映ったかはどうでもよく、とにかく見てもらいたかったという気持ちはすごく強く思っていたので本当にうれしかった。もちろんその中に、当時の彼女昔の彼女なども入りまじりカオス状態だったことはここだけの話である。そして客出しも終え、バラしの作業を行い劇場を後にした。当時、牛乳配達のバイトを6:00からやっていて、この日も朝から一仕事やってから劇場入りしたので相当長い間動きっぱなしだった。打ち上げはあったと思うが、どこにいったかすら思い出せない。そんな初舞台であった。
その2日後、牛乳配達の仲間の年上の方に見に来てくれた感想を聞いた。その答えが自分の想像をはるかに超えるくらい胸に響いた。その方はこういった…。
続く。
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