【振り返り】自分の創作活動を振り返る(1999年/24才)「初舞台は大阪」 - ”目黒のジダン”こと佐とうひできのブログ

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【振り返り】自分の創作活動を振り返る(1999年/24才)「初舞台は大阪」

大阪での初舞台は幕を開けた。一心寺シアターというところだった。[場当たり、ゲネプロ、本番]といった通常の流れがあったことは記憶にないがゲネはやったぽい感覚がある。舞台はセットがない暗幕だけの素舞台。L字型に舞台を使っていた。主に自分が出演するエリアは「L」の字の短い方だった。演目は「BLUE(完結編)」。完結編とあるので続編のようだった。近未来のSFでセットもない中SFをやるのだから、そこは役者の創造で世界をお客さんに感じさせるという非常に強引な演出だった。ワタシの役柄は3人一セットだったがその役柄の関係性までは記憶にない。しかし追いかけられている役だった気がする。そして最後は殺された。衣装は大学時代の水色のスウェットを上下着用した。胸には「KOKUSHIKAN UNIVERCITY」略して「KU」の頭文字がそのまま入っていた。そういうところは気にしない演出家だった。そうだ書き忘れた。そもそも脚本演出は先生であり、集団の主宰の方だった。脚本の作術は前記したとおりであるが、演出面に関してはワタシたちほとんどが初舞台ということもあり、厳しいダメをもらった記憶がない。必死に覚えているセリフをただ言っているだけだった。先生も台本があるわけではないので(口立てのため)どれが正解かがわからないまま稽古をつけてもらっていた。楽しかった思い出はまったくない。なんか巻き込まれた波に乗った感じで個人的には主体性はまったくなかった初舞台だった。全部で3ステ(3回本番があること)だったが、初日に初めてお客さんの前にたった時に今までに経験したことがない緊張を感じ、セリフを飛ばしたのが一番カラダが覚えている記憶だ。当時はとても長いと感じた数日間の大阪公演が終わった。荷物を車に積み帰路は深夜、東名に乗って車で東京に向かった。その車は公演の荷物、メンバーの荷物、メンバーと積載オーバーだったと思われるギュウギュウ詰めの車中運転は先輩がしてくれたおかげで寝ることができた。しかし寝た気はまったくしなかった。そして翌朝早朝、東京に着いた。大学まで続けていたサッカーのおかげで体力には自信があったワタシであったが、帰宅後の疲労感はMaxだった。舞台の疲れってこうなのかぁ~と感じ眠りについた。数時間の睡眠後、また一週間後に行われる1日のみの東京公演の稽古のため家を出発した。
続く
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