【振り返り】自身の創作活動を振り返る(1999年/23~24才)「とにかくすべてが初めてとなる稽古生活」 - ”目黒のジダン”こと佐とうひできのブログ

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【振り返り】自身の創作活動を振り返る(1999年/23~24才)「とにかくすべてが初めてとなる稽古生活」

なにもかもが初めてとなる初舞台。もちろん稽古というのも初めてだった。ワタシも含めなぜか集まっている周囲の仲間たち。どんな人たちかは素性がまったくわからなかったが、とにかくその人たちと舞台を作っていくらしかった。そして先輩たちはなぜかピリピリ。その緊張感がどうにも居心地が悪くて「稽古っていうのはこういうものなのかぁ…」と思った。それまで小学校から高校までお芝居を文化祭でやったことはあったものの、それには台本があり、それにそってお稽古をやっていくというのはさすがのワタシでもわかっていた。しかしその集団は先生が話したことを各々が必死になりメモしていくという台本だった。後にその方法が劇作家「つかこうへい」などが行っていた”口だて”という手法だと知るのは数年あとになる。初めてのワタシにとってはそれさえも「そういうものなのかぁ~~」と思って必至にメモしていった。しかしやはりアナログ作業なので聞き逃したり、聞き間違えたりしていて正解が本音のところよくわからなかった。自分のセリフはメモってあっても、関係のないところは途中から一切メモらなくなり、結局どんな話なのかはやっている時(上演中)もまったくわからなかった。そしていまだにわかっていないという始末である。自分が演出家だったらブチ切れていると思う。たぶんそんな自分のいい加減さは見透かされてはいたと思うが…。
一方稽古は本番に向けて前のめりに進んでいく。正直どんな稽古したかはまったく思い出せない。頻度はそんなに多くなかったと思うが、荻窪駅を降りた北口、南口のそれぞれの区の施設に稽古をしに行ったのは記憶にある。とにかく先輩方の先生に対してのケアでとても張りつめていた雰囲気だけがとてもカラダが覚えている。ワタシは怒られはしなかったが、よく先輩方はやり玉に挙げられていてその人を叱ることにより、場がピーンと張り詰めていた。

なんだかよくわからないまま結局、本番の地へ移動の日となった。場所はなんと「大阪」だというのだ。往路は深夜バスで梅田に向かった。着いたのは6時近くだったと思うが、眠い目をこすりながら大阪出身の先輩の家に宿泊させてもらうことになり、荷物を置きに行った。そしてすぐに移動し、大阪市内にあるどこかの稽古場で稽古をした(近くに川があったから道頓堀の近くだったのかも)。稽古後はまた先輩の家に戻り、先輩(友人)と家主の先輩と3人で数日間生活した。そこで打ち解けることができたがとても収穫だった。小屋入りが翌日だったか思い出せないが1999年のカレンダーを見ると本番は、12/4(土)、5(日)だったみたいだ。小屋入り当日すぐ本番の”のりうち”だった。素舞台で暗幕だけ貼ってやる舞台だったのでセットなどは皆無だった。今思えば小道具などはどうしていたんだろうか?大阪での客はどんな人たちがきたのだろうか?ペイできたのであろうか?舞台を重ねた今だから思う疑問は多数あるがとにかく初日をどうにか迎えることができた。

続く。

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