【記憶】ワタシの1985年8月12日 - ”目黒のジダン”こと佐とうひできのブログ

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【記憶】ワタシの1985年8月12日

1985.08.12

故・筑紫哲也氏が2011.9.11の同時多発テロの特番で「世界で初めて、その時何をしていたかを覚えている出来事」と言っていたことがある。
「1985.08.12」もまた同時代を生きた日本人にとってはそれに値する日だと思う。

ワタシは当時9才の小学校4年生。
その夏は今年と同じように戦後40年とメディアが流していたのだと思う。それにしても1985年はいろいろなことがあった年だ。
バブルの引き金になった「プラザ合意」、阪神初の日本一、電電公社からNTTへ、おニャン子クラブデビュー、「8時だよ!全員集合!」放送終了、スーパーマリオ発売、科学博つくば万博開催などなど…。
そんなたくさんの出来事の中ですべてを上書きしてしてまうほど記憶に鮮明に残っているのが「1985.08.12」、その日である。
もちろん日航機墜落事故のことである。

その日、ワタシは、母と叔母とディズニーランドに来ていた。夏の暑い日に朝から最後の終園の23時までフルに遊んで帰った。まだ舞浜駅がない頃で当時はみんな東西線・浦安駅からバスで行くのが一般的だった。
ワタシたちも1日を満喫したあとバスで駅まで向かったが、その先の東西線が終わっていた。そこで親戚の叔父さんに迎えに来てもらい、浦安駅から池尻大橋まで送ってもらうことになった。
その車中、叔父がいった。
「日航機が三国峠の方で落ちたらしいよ…」
当時、"三国峠"も"日航機"も知らなかったのでよくわからなかったが話を聞くところによると飛行機が落ちたらしいというのはわかった。
そして帰宅し、朝を迎えTVをつけた。
そこに映っていたのは、山の斜面にもくもくと漂う煙とどのチャンネルをつけてもその事故一色のニュース特番だった。
特に印象深いのが、カタカナ表記で乗員乗客の名前をゆっくりとテロップとナレーションで伝えていた光景だ。

あれから30年。

あの夏の記憶はワタシでさえその事故にぬり潰されいる。その数日後にいったつくば万博の記憶はほとんどないのに8月12日の記憶は鮮明である。

それほどまでに幼少のワタシには衝撃的な事故だった。今でも日航機墜落事故関連のニュース、映画、本、番組などは注視しているが多分、死ぬまでこの日の記憶は鮮明なんだと思う。

30年経った今日改めて思った。

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