【蹴球/論】 『ジブンたちのサッカー』ってあるんだろうか? - ”目黒のジダン”こと佐とうひできのブログ

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【蹴球/論】 『ジブンたちのサッカー』ってあるんだろうか?

『ジブンたちのサッカー』


これ、よく聞くコトバですが前からなんか違和感を持ってました。

だって人によってはそれで「“ジブンたちのサッカー”ができなかった」から負けたとか、「“ジブンたちのサッカー”が出来たから勝った」とか言うからなんかいつの間にかそういうのがあたかもあるんじゃないかみたいな空気ができてしまったような気がします。


これってなんかサッカーだけって感じもします。



でもやっぱりそんなもんはないって思うんです。


なぜなら、サッカーはジブンたちだけでは成り立たないからです。

相手がいて初めて『サッカー』になるからです。

『ジブンたちのサッカー』が仮にあるとしてそれを試合で表現しようとしたってそれが勝敗の直接的な原因にはならないと思うんです。

『ジブンたちのサッカー』があってもそれはすごく曖昧なものだから本当はないんだけど監督がまとめる時にそれを言うとあたかめあるんじゃないかって錯覚が起きる…そんな魔法のコトバであるとは思うんです。
※マスコミ向けと言ってもいいかも。


でも実際はすっごくフワフワした実態のないものだと思うんです。

しかもそれがかなり浸透してて、高校サッカーとかでもよく『ジブンたちのサッカーが…』みたいな声をホント良く耳にするようになりました。


でもやっぱり違和感がずっとあって最近フッとこの疑問になんかどうしても言いたくなってしまったんです。


サッカーは相手があって成り立つとは前に書きましたが、これは会話と一緒で会話も相手があるから成り立つんで、相手がどうくるか、どう話を受けとるかわからないわけで。
それはとっても「アドリブ」的な作業だとおもいます。


だからサッカーも「アドリブ」のスポーツだと思うわけだから、そこに予定調和、「こう来たらこう返す」的なのが成立するのは相当難しい気がするんです。


どうでしょうか?

これからもたぶん耳にするであろう『ジブンたちのサッカー』に対して少しだけ斜めから見てみるのは?

そうすると「サッカー」ってものがまた違って見えるんじゃないかなぁって思います。


まずは自分から『ジブンたちのサッカー』って言うのを止めてみませんか?


ワタシはハジメマシタ。



目黒のジダン
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