【日記】2月18~20日、被災地ボランティアに行ってきました。 VOL.2 - ”目黒のジダン”こと佐とうひできのブログ

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【日記】2月18~20日、被災地ボランティアに行ってきました。 VOL.2

先日つづった文章のつづきです。

今のリアルな自分の気持ちもコトバにしておきたいので
あまり読むに堪えないと思いますがお付き合いください。

■ あの寒い中で…
気温は普通に日中でさえ、0度以下でした。
震災当時、その気温の中で海水に浸り一晩過ごしたことを考えると…。

ある92歳のおばあちゃんが自らの口で津波に流されたけど「生きていた」ということを教えてくれました。
それは体験とはうらはらにとても明るい口調でした。
フッと私がおばあちゃんに発したコトバは「おばあちゃん、それは生かされているんだね!」でした。
適切かどうかわかりませんがとっさにそんなコトバがでました。
「生かされている」=「生きる意味がある」といった方がいいのでしょうか?
そのおばあちゃんが私に伝えたそのコトバ、すでに意味があります。
その何気ない会話から私の心は揺れました。
ここに書いていることがまた誰かに伝わればその連鎖はどこまでも続きます。

やはりそのおばあちゃんが生かされているんだという意味を感じざるをえませんでした。


■ 大田区のボランティア活動
私は、大田区のボランティアに参加しました。
昨年の5月から述べ5000人近い方々が毎週代わる代わる現地で作業をしてきたそうです。
私は初参加なので本当にここまで築いてきた先人の方々の土台の上にちょこんと乗らして頂いただけなのですが、
現地で作業をしていてまだ30分しか経っていない時、私は大田区の目印のビブス(ちゃんちゃんこみたいなヤツ)をきて、一人公衆トイレに行きました。そこでトイレを清掃している地元の方がいて私がひとこと挨拶をするとその方は「いつもありがとうございますね。とても助かります!」と声をかけてきてくれました。私はたったの30分しか作業していない中にも関わらず、ビブスをきて大田区だとわかった私へのその一言です。それを耳にし、ここまで築いてきた大田区の実績と信頼を感じました。改めてここまで築いてきたものを汚してはならないなぁという心とこの場を提供してくれている区をはじめ、それに関わる方々への感謝が自然とわいてきました。
実際どれだけのことが制限時間内にできたかわかりませんが今後も定期的に継続して参加してみたいと思います。


■ 現地の方の前向きな姿
私が参加した3日間のうち中日の2日目が「ランチ交流会」という現地の方との交流の場が今回はありました。
何もわからずに参加したのですが、現地の方の生の声は聞きたいと思っていたのでとてもタイミングだと思いました。しかし当日は私は、なぜかマイクの設営、PA作業、音響作業、司会業と私のこれまでの経験を活かせる仕事が回ってきました。こういったことは実は現地でやってみたかったことでもあったのでとても幸運でした。
そして司会をやっていて、会場に集まっている現地の方々の全体の空気感から、あ、ちなみに来場の方々は7~8割が年配の方々で、150~200人くらいだったと思います。話を戻すとその全体の空気感から現地の方々がとてもそのランチ交流会を楽しみにしているんだなという前向きの気持ちを感じました。そこで芽生えたのがやはりエンタメ人としては「もっと楽しんでもらいたいなぁ」ということでした。
「あぁ~したいな」「こ~したいなぁ」等々…、いろいろ創造が膨らみました。


■ これからの私の方向性
昨年、震災後3週間くらいしてから有名アーティストたちがこぞって音楽で自分たちのやれる活動を始めました。
その頃、私は就職をしていて身動きがとれない状態でした。しかし心の中では、絶えず「何かできないか」と思っていました。そこでメディアを使って、まずできることからということで動き出したアーティストたちをみて思ったことは「こうやって歌って、音を奏でて、それを被災地のためにということでやったということはもしかしたら売名行為で、いろいろな作為的な感情があったりするのかもしれないけど、でもこうやって演奏することで絶対人の気持ちに何かを投じるころは出来ると思う。実際TVでみてる自分も何かをもらったんだから」でした。とても臭いかもしれないけど私は芸事を大学を卒業してからここまで真剣に続けてきました。それで飯を食べれたわけではないけど自分のやってきたことには誇りをもっています。それをつかって誰かを元気にさせる、楽しんでもらい何かを持ち帰ってもらえることはパフォーマーとしてはこれ以上ない存在意義なのではないかと思ったのです。だからこそ自分の身動きがとれないことがもどかしかったのです。そんな気持ちを持っていた私は今回のボランティアに参加してさらに自分の方向性がより明確になりました。
そして本当に偶然にも「音楽」で被災地との関わりを強くしようとしている志の高い方々ともお会いしました。

私はたったの、本当にたったの一回しか現地にいっていない人間です。もちろん回数ではないのは分かっていますがそれでも同じ場所、空間で、同じ空気を吸い、同じ空を見、空気感を共有することはとても大切だと思い、実際ほんの少しだけその「空気感」を感じました。
そんな中からこそ生まれてくる発想、その発想から「音楽」または「パファーマンス」を通して何かしらできればなぁと思いました。

最後にとても懸念していたことがあります。それは、著名人…たとえばSMAP、嵐、AKB48、有名スポーツ選手ら被災地に行くことで現地の方々の目が肥えて、無名の表現者が行くことをあまり良しとしない空気があるのかなぁということでした。今回、ランチ交流会には元・朝青竜がいた高砂部屋(親方は昔の朝塩)落語家、演歌歌手、プロレスラーの方々がいらしていましたがこういっては失礼ですが、あまり世間に知られていない方々でも現地の人たちはとても喜ばれていたのでその面ではとても安心しました。

現地の方々は本当に感謝しているんだなぁということも感じました。

いつ何ができるかは明確ではありませんが、今後のパフォーマンスをしていくひとつの指針を示してくれた今回の経験はとても貴重なものとなりました。
やはりすべてはまず一歩動き出すという基本が大事なのですかね、やはり。

■ 「あの日」の賞味期限
10年前、「あの日」と言えばたぶん世界中が「9.11」を連想したでしょう。
しかし今、「あの日」と言えばほとんどの方が日本国民は「3.11」と答えるのではないでしょうか。

いつのまにか「あの日」が「どの日?」になる日がくると思います。

それがいつになるのかはわかりませんが「あの日」のうちにできる限りのことはやりたいですね。

「鉄は熱いうちに打て」

政治家も私たちも・・・。





■ 体育館に設置されていた時計・・・。
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