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【ひとり事】「コミュニケーションは言葉の数じゃないと思う」の理由

昨日、「コミュニケーションは言葉の数じゃないと思う」と書きました。

その理由は、すごい感覚的なことです。
というかまとまっていませんが、これが今の自分なのであえて書き遺しておこうと思います。

自分、最近仕事柄よく英語で話す機会があります。
あ、”よく”はないですがあります。
しかも自力で英会話をしている自分の拙い英語でのコミュニケーションなのですが
それでも通じて気を通じ合うことができたりするんですね。

そこではとてもじゃないけど会話をとは呼べないほどの会話です。

日本語にすると…


「どこから来たの?」


「~~好き?」


「これからどこに行くの?」


「日本にどれくらいいるの?」


「日本は好き?」


ってな感じの”これ会話?”程度の会話です。

でもそんな中でも、もちろん言葉が通じる楽しさもあるのですが
それでも


「あ!心と心が通じ合った!」

と思える瞬間があるのです。
そこで交わされた言葉の数、字数でいったら
日本語で会話した時とはもちろん比べ物にならないくらい少ないわけですが…

「あ!もしかしたら気が通ったかも!」

と思えてしまう実感があるのです。
確実に「言葉の数」ではないのです。

そこで自分がしようとしていたことは
言葉が拙い分、「気持ち」で会話をしようとしていたことだと思います。
「気持ちで会話」ってこれもまたとても感覚的なことなのですが、
「気持ちで会話」ってそこに確実に必要な要素があります。

「欲求」です。


この場合、「外国人と話したい」だったり、
道を外国人に聞かれているのであれば「道を教えたい」だったりするのですが
まぁとにかく「欲求」があるのものには「言葉の数」は関係ないのですね、たぶん。

好きな子への告白もそうかもしれないですね。

好きな理由をのうのうと語るより

「好きです」

の一発の方が思いがのったりしますからね。
そもそも「好き」って感覚的なものに理由をつけるのもうそ臭いですしね。


世の中には「アイ・コンタクト」という言葉がありますが
それは無言の「コミュニケーション」ですもんね。
やっぱり「言葉の数」じゃないんですね。

なぜこんなことを書いたかというと、
自分は口数が多く、ペラペラと語ってしまうタイプなので
コミュニケーションがとれているか、否かはとても気になってしまうのです。

20代の後半の頃、世の中の基本は「コミュニケーション」なのでは!?
と思った時期があり、そして「コミュニケーション」の難しさを組織の頭を張った時に知り、
さらに深く「コミュニケーション」って?というもっと哲学的なところまで今来てしまいましたが
前提として
”人間そんなにみんな悪いひとじゃないよ”
ということを前置きにし思うことは

「他人を怖がらず勇気をもってコミュニケーションしてみよう!と思ってみましょう」

ということです。

”してみよう!と思ってみましょう!”と遠回しなのは
「コミュニケーション」はそんなに簡単ではないので最低でも”してみよう!”と意志をもつことから始めましょう!という意味です。

面倒くさいですね、私。
自覚しています。


また書いていて感情だけで書いている自分がいるので今日はこのへんで。


かなりまとまっていないのですが
そのくらい奥が深いテーマなんだなぁということで…




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