”目黒のジダン”こと佐とうひできのブログ

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【日記】東京マラソン2017を走って「清澄庭園~門前仲町」 その6

膝の違和感はハッキリと痛みに変わり、その痛みと向き合いながらもペースは落とさず走った。
沿道には新コースとあってたくさんの人たちが詰め掛けていた。膝の痛みはあるがまだ止まるほどの痛みではないので気持ち的な余裕は持ち合わせていた。
この「膝の痛み」というのはランナー膝と言われ、初心者ランナーにはよく見られる症状だ。走行距離が真剣にランニングを行った2013年から800Kmに達する自身が初心者かどうかは意見が分かれるところだが、私はここ2年くらい膝の痛みを抱えながら、徐々に距離を伸ばしてきていた。今回の練習最長距離18kmを越えたあたりから痛みが発生するというのがなんとも分かりやすいのだが、それ以降は向き合うしか方法がなく、もう一つの方法は走るのを止めるという選択になるのだがもちろんそんな選択肢をその日には私には持ち合わせているはずもない。
清澄通りの賑わいは引き続き活気を帯びていた。距離もまもなく折り返しとなる21km付近となる。ここには友人・ユミトがまっている。そこで自分が背負っているバッグを受け渡すことになっている。このバッグには、スタート時の防寒用のジャージと食べかけのおにぎりが入っていた。それを背負ってスタートするか迷った。しかしこの辺りで無性にお腹が空き、その食べかけのおにぎりを食すことができたため結果オーライであった。スタート時、ユミトから「途中、絶対に腹が減るから食べろ」と手渡されたおにぎりを、半ば強引に詰め込んだがさすがに途中にトイレで大きいのはしたくなかったのでと半分にした。その彼の忠告通り、折り返しを迎えようとしている門前仲町付近で空腹を迎えたのであるから人の話は聞くものであると思った。
そしていよいよ折り返しである。人はそれまでよりさらに増えていた。そのためこの付近で待っている友人ユミトを発見するのに骨が折れた。なかなか見当たらず鶴岡八幡宮を左手に折り返しをした。彼を探しながら、給水所で給水をし、再度清澄通りへと入った交差点を右折した辺りに彼を発見した。彼にかばんを渡し、少しの会話を挟みすぐに出発した。バッグを渡して一気にカラダが軽くなったような気がした。走っているときはストレスに感じなかったが、外して気づかされた。
空腹はさきほどのおにぎりで一瞬満たされたがやはり継続中であった。しかしさきほどまでの膝の痛みはいつの間にかなくなっていた。
コースは、清澄通りを北上していき、再度蔵前橋を渡り銀座方面へと進んでいく。
21km越えたあたりからいよいよマラソン本来の辛さ、楽しさが始まるのであった。

続く。
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【日記】東京マラソン2017を走って「蔵前橋~森下~”膝の痛み”」 その5

蔵前橋を渡り、蔵前通りを右折して清澄通りに入った。
通りの角は震災記念堂である。この辺りは母の実家の近くにあたるためこの記念堂には思い出がある。毎年9月1日は、関東大震災の日ということもあり、出店などが出る。関東大震災は大正12年(1923年)9月1日に起き、その際私の曾祖父が亡くなったそうだ。そのエピソードは祖父からよく聞かされた。その震災で亡くなった方々の慰霊碑がここにあり、お参りをしに毎年来ていた。小学校の頃、2学期の始業式後ここを経由し、錦糸町の祖父の家に行くのが慣例となっていた。4年生の時に鈴虫を買った記憶がある。
その思い出の地を右手に両国へと向かっていた。錦糸町の母方の実家で、年始の親戚一同の集まりの際、私が東京マラソンにでることを伝えてあったので、「もしかしたら応援とかあるのかも」といらぬ期待をしたが思い過ごしだった。その矢先、左ひざの外側に若干の違和感を感じた。痛みというほどでもないが「あれ!?」と思う程度の違和感だった。しかし走りは快調で、常にキロ6分前後でキープしていた。後半へ向けても余力たっぷりだった。
両国を過ぎた。この辺りの沿道の応援する人もたくさんいて初コースということもあるだろうがとても賑わっていた。この両国、2008~2009年頃にアルバイトをしていたところで2年近く通った、ここも思い出の地である。走りながら様々な街の変化を感じた。もう10年近く経つが飲食店はほとんど変わっていた。昔働いていたビルを通過し、森下へと向かう。ここから若干のアップダウンがある。というのは小さい橋が数か所あり、上り下りが否応なしにくるのだ。その昔、江戸は運河などで流通をしていたというが「水の都」だったということ感じさせた。
この辺りは18km付近なのだが、今回のマラソンに向けての練習での最長距離が18kmだった。その距離まで来た。これまでもハーフマラソン、フルマラソンと経験してきたが、前回の2年前のフルマラソンは、一か月前に予定していた青梅マラソンが雪のために中止になり、その後全く走らずに本番を迎えた。しかし最長26Kmの練習をしていたこともあり、カラダに痛みを感じることはなかった。今回も練習も徐々に距離を伸ばしながら、膝の痛みと戦ってきた。一度走った距離だと膝の痛みを感じなくなるため、痛めては休み、回復してはまた距離を伸ばしてということを繰り返してきた。しかし今回の練習はなかなかまとまった時間がとれず18kmしか距離を重ねることができなかった。
カラダは正直なものでやはりこの18kmで先ほどの違和感が痛みへと昇華した。
「やっぱりかぁ…」と思った。

続く。

【日記】東京マラソン2017を走って「水天宮~浅草~蔵前橋」 その4

10Kmを越え、ウォーミングアップ完了となったこの時点でも周囲は快調なペースだった。
私もその集団に紛れ、キロ6分をキープしていた。日本橋を過ぎ、下町のコースへと向かっていくわけだが、ここでさっそく先頭集団とすれ違った。5人くらいの黒人集団が前方から見えてきた。とてつもないスピードで駆け抜けていった。辛さも感じさせず、無表情でタンタンと通貨していった。その後二集団くらいが通過した後に日本人が現れた。私もそこまですれ違うトップランナーたちに走りながら、声援と拍手を送ったが日本人のそれはひと際大きかった。冷静に今思うと私たちは10kmを超えたあたりだが、もうすでに彼らは25kmは走っていたことになるのだから人間でも才能と努力でこんなに速くなれるのだと思い知らされる。
一方、私はイーブンペースで距離を重ね水天宮まできた。この頃がカラダが一番自由がきいていたかもしれない。先のペース配分などを考えながらかなりポジティブな空想をしていた。余力たっぷりだった。浜町当たりで大きく左折をし、明治座を通り過ぎ浅草へと北上していった。
浅草橋を過ぎ、浅草へ向かう。昨年まではこの辺りは25~30km付近で今回の銀座あたりになる。これまでの印象からにこの辺りはとても賑わいを感じていたが、コース変更の影響なのだろうか実際はそれほどでもなかった。コースは盛り上げるために雷門の前を通しているが、強引に通している感じがして道は狭いし、沿道の応援もたくさん聞こえたがそんなに印象には残らなかった。
浅草寺を背に、正面に通称”うんこビル”と言われるアサヒビールの本社、スカイツリーを臨みながらまた同じ道を南下していった。蔵前一丁目の交差点を左折すると隅田川が見えてきた。蔵前橋を渡りいよいよ新コースとなる。折り返しの門前仲町まで5kmもない。このペースなら4時間切れるかもと思った矢先、膝に違和感を感じた。
この違和感が痛みに代わるまでそう時間はかからなかった。

続く

【日記】東京マラソン2017を走って「飯田橋~日本橋」 その3

今回記すこの辺りが、全コースの中で一番記憶が薄いエリアだ。
飯田橋を右折し、神保町を通り、スキーやスノボーなどウィンタースポーツの聖地として有名な小川町抜け、神田へと続いていく。ペースはキロ6分をキープしていた。別段これといった特徴のある建物などがないためにそういった印象になるのかもしれない。
ただこの辺りはとにかくどこのトイレもいっぱいで、長蛇の列だった。トイレを見なければ催さない尿意も不思議なものでそれをみるだけで誘発される。しかしトイレにいくことはペースを崩すことになるのでとりあえずこの辺りで入るのは我慢した。ペースはあがってきたものの、周囲も同じくらいのペースのためそれほど密集率は変わらなかった。まだ腕を伸ばせばぶつかるくらいの密度である。神保町を過ぎ、小川町に向かう途中、拡声器を使いながら「YMCA」の大合唱を促していてとても盛り上がっていた。自分も自然と「YMCA」のフリをしてしまった。周囲も同じように無意識に「Y~M~C~A!」と腕だけであの有名な振り付けをしていた。少しテンションが上がる時間だった。このあたりは7~10kmのあたりにある。この距離はいつも練習している距離のためまったく苦にならずに走ることができた。
そしてJR神田駅のガードをくぐり、いよいよ日本橋へと向かう。
日本橋では、途中結婚式の最中だろうか、ウェディングドレスを着た女性が沿道にいてランナーに声援を送っていた。有名な三井住友銀行を過ぎ、三越を右手に観ながら前方に、「日本橋」が見えてきた。やはり誰もが思うこの日本の起点となる橋に高速道路がかかっていることに改めて違和感を覚えながら橋を渡り、コレドを左折した。
この辺りは今回の応援スポットとしてオフィシャルに推奨しているらしく、門前仲町で折り返してきたランナーがまたここを通って銀座へといく。そのどちらとも見える場所が「日本橋」なのである。とにかく10kmを越え、時間も1時間を過ぎここからがいよいよフルマラソンが始まるといった気持ちになった。
この辺りはビル群のため日影が多く10時を回っていたものの若干寒さを感じたエリアでもあった。
そしてその後は水天宮、浅草橋を抜け、浅草にいくことになる。

続く

【日記】東京マラソン2017を走って「新宿~市ヶ谷~飯田橋」 その2

定刻9:10分にスタートした。
 最後の放尿をした私は、のろのろと前進する集団に紛れ、小池都知事がたつ出発ゲートを通過した。10分遅れだった。出発ゲートは写真を撮るランナーで溢れていた。私は日差しが強かったためスタート直後、サングラスを下しそのランナーたちを横目に自分のペースで出走した。
私の目論見は、最初はなるべくゆっくりとスタートして徐々に上げていくことだった。具体的には1キロ6分前後で行き、余裕があったら残り10kmでスパートをかけ、キロ5分で走り、あわよくば「サブ4」(4時間を切る意)をと思っていた。しかしその目論見はたった18kmで崩れることになるのだが、この時は前途洋々だった。
 シェラトンを右折し靖国通りに入る時、異様に周囲のペースが速いため一瞬飲まれそうになったが、何かで目にした「最初、高揚感からハイペースになる傾向にあります」との注意を思い出し、自制気味にゆっくりとしたペースでキロ7分で最初の1kmを仕上げた。
 私がスタンバイしたエリアは「Eブロック」で3時間30分を狙う人たちが集まるブロックだった。そのためか周囲はとても速く、記録を狙っている人が多いためか東京マラソンの名物である仮装ランナーも皆無であった。右に左に次々に追い越された。だが私は予定通りのペースで2、3kmと徐々にペースをあげていった。
 コースは、靖国通りを通り、新宿を抜け市ヶ谷へと向かう。今回のコースはほぼ平坦なのだが、靖国通りの曙橋手前の坂だけが大きな高低差になっていた。少し心配したがローペースなこともあり、それほど急ではなく問題なく通過することができた。靖国通りは、道路の両車線が通行止めのためどちらのコースを走ることができた。道は基本的には水を効率よく流すため、真ん中が一番高く、両サイドが低く作ってある。そのため荷重が外側に行く足の負担を考えて左右の車線をバランスよく走り、なるべく歩道に近いところは避けて走ることに注意した。
 防衛省の横を通り過ぎる時、正門の前でスタンバイしている自衛隊のブラス隊が星野源の「恋」を演奏し始めた。その演奏がとてもさわやかで気分を軽くしてくれた。
ブラス隊を背に、前方に外堀が見えてきた。市ヶ谷駅である。沿道の声援もここまでまったくとぎれることがなく外堀通りに来るとその声援はさらに大きくなっていった。この辺りで5キロを迎えることになる。そこまで比較的日影だったが、ここから高い建物がないお堀側に太陽があるため終始日向の中を走った。直射日光を浴びると全身のインナーは暑く、このあたりから腕のインナーをまくって走ることにした。
 5キロ毎に設置される給水所が現れた。まずはスポーツドリンクコーナーがあり、その後水コーナーと続く。私は、ベトつくのが嫌なので水を飲んだ。飲みすぎて途中トイレに行きたくなる危険もあるためほどほどにした。このあたりはキロ6分20秒くらいで走り抜けた。集団は団子状態で手を挙げれば誰かにぶつかるほどに密集していた。
 そして飯田橋を右折し、今度は神田の方へと向かうことになった。

続く

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